IMURAYA CSR REPORT 2015
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 ~社会とともに、一緒に成長して 肉まん・あんまん新工場竣工日産100万個体制でより多くのお客様へ【1970年】社会と井村屋早分かり年表社会と井村屋早分かり年表肉まん・あんまん社会とともに成長した50年の歩みはじめに・・・ 井村屋グループ理念には、ミッション(社会的使命)を「おいしい!の笑顔をつくる」と定め、井村屋グループ全社員が、「お客様の食生活においしい!の笑顔の輪」を広げる活動を行っています。 今回特集として、昨年発売50周年を迎えた「肉まん・あんまん」を取り上げました。 井村屋の代表的商品の1つである肉まん・あんまんが、私たちの社会と、どのような関わりをもってきたか、またどのような貢献をしてきたかをご紹介させていただきます。 自動包あん機の導入により、1969年には60万個の生産体制となり、1970年に入ると肉まん・あんまんの新工場の竣工、さらに10台の包あん機の導入を図りました。その結果、日産100万個体制を確立し、より多くのお客さまに井村屋の肉まん・あんまんを楽しんでいただける体制となりました。196819681968196519651965196419641964【ヒストリー編】特集具材に味をつける日本独自のスタイルがヒットを呼びました。初代 肉まん・あんまんの発売【1964年】 当初、冷凍庫が家庭に普及していなかったことや、蒸すという手間がかかることもあり、売れ行きはいまひとつ。そこで窮地を救ったのが1965年に電気メーカーと共同開発したスチーマー(蒸し器)。これを小売店に貸し出し、お客さまに出来たて、ホカホカを食べてもらえるようになりました。また立ち上がる湯気の温かい雰囲気を演出し、店頭売りの文化を根付かせました。肉まん・あんまんの窮地を救ったスチーマーが登場【1965年】 市場の消費拡大に伴い、より多くのお客さまに肉まん・あんまんを届けるため、生産効率の向上を実現しました。自動包あん機9台の導入【1968年】井村屋50年の歴史社会の動き●高度経済成長期●東京オリンピック1955年~1973年にかけて、製造業を軸に高度経済成長が進み、1964年の東京オリンピックの時期とも重なり、相乗効果が図られた。●電子レンジの発売日本で初めて電子レンジが発売された。当初は値段が高く、機能性も理解されず、人気が低かった。電気冷蔵庫の普及とともに、徐々に広まっていった。●大型消費時代の到来高度経済成長期に伴い、当時話題となっていたカラーテレビをはじめ、大型消費の流れが目立った。●東名高速道路 全線開通交通網が進化し、社会の発展に貢献。初代スチーマー(灯油式)自動包あん機21

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